『列車で行こうどこまでも』 ~日帰り連続切符の旅~

 
既に2月も半ばにさしかかり、だいぶ遅れてしまいましたが、去る1月22日は平日ながら終日フリーだったので、甲信越方面への普通列車日帰り一人旅を計画しました。
連続乗車券目的地は主に
  1. 長野総合車両センター
  2. 姨捨駅
  3. 北越急行ほくほく線
の3つだったので、中央本線-篠ノ井線-信越本線-ほくほく線-上越線-八高線-中央線経由に決めました。みどりの窓口で乗車券を購入しましたが、8210円かかりました。
 
モハ200-3
 
当日は朝5時に起床。この季節は、まだ夜は明けていません。予定より少し早めに家を出て武蔵小金井に着くと、丁度高尾方から始発の青梅行が2番線に入ってきたのですが、それが偶々201系H1編成でした。乗客は皆無だったので、ついでに車内を撮影しておきました。ちなみにH1編成は数日後に運用を離脱しました。
 
 
 
 
 
朝焼け小焼けの八王子
予定通りの電車に乗り、八王子で下車しました。次第に夜が空けてきました。次の列車まで9分程待ち時間があったので、ホーム向かい側の横浜線を撮影しました。八王子は『夕焼け小焼け』で有名ですが、朝焼けの八王子もまた良い物です。
 
115系長野色
八王子からは普通松本行に乗車し、一気に松本を目指します。高尾を過ぎると山岳地帯に突入し、車窓も一変しますが、それと同時に冷え込みも増すのでしょうか、霜もみられるようになりました。また、通勤時間帯ということで、下り電車ながらも車内は結構混雑し、甲府市街では高校生の登校時間帯ということで、こちらもだいぶ混雑しました。上の写真は少し停車時間があった甲府駅で撮影しました。長野色115系、6両のC編成です。左奥には豊田車両センター所属の訓練車、スカ色白帯の115系も写っています。
 
日野春駅標
 
甲府を過ぎると通勤時間帯も終わり乗客が激減し、ボックスシートで横になる若い女性の姿も見られました。空いてきたので、一度はやってみたかったボックスシートで、向かいの席に足を伸ばして座ることもできましたが、よい子の皆さんは真似をしないで下さい。
日野春駅では特急スーパーあずさの通過待ちがあったので、その間に日野春駅標を撮影しました。レイアウトは国鉄様式になっています。北杜市は最近の市町村合併によりできた市なのですが、北杜市の部分だけ塗り直した形跡もないので、国鉄様式のものを作り直したのでしょう。なかなか粋なことをしますね。
 
 
 
自分の足跡
 
信濃境駅からは防寒対策でドアは半自動扱いとなり、手で開閉します。雪もあちこちに見られるようになってきました。富士見駅で1枚、「この足跡は人類にとっては小さな1歩かもしれないが、私にとっては大きな1歩である。」というところでしょうか…
上諏訪駅は構内に足湯があることで有名です。10年ぐらい前までは温泉でした。家族旅行で来たときに入浴した記憶があります。この辺りの発車メロディはカンノ製で首都圏ではあまり聞かれないものです。諏訪湖周辺は精密機械工業で有名ですが、車窓からもEPSONやSEIKOの工場が見られました。諏訪湖は湖岸付近は凍結していましたが、「おみわたり」と呼ばれる全面凍結には程遠い状況でした。
 
 
 
かけこみ乗車はキケンです!?
 
松本駅に到着、八王子から乗ってきた電車は、折り返して高尾に戻るそうです。超ロングランですね。駅弁を購入し、僕は長野行に乗り換えようとドアに手をかけて驚き!! 何故か駆け込み乗車禁止ステッカーがネガのようになっています。本当は大糸線のE127系や、松本電鉄の車両も撮影したかったのですが、時間の都合上断念。
 
 
 
 
 
 
 善光寺平が一望!!
姨捨駅舎
 
列車は途中、姨捨(おばすて)駅に停車します。ホームからは善光寺平(長野盆地)が一望でき、日本3大車窓の1つと言われているそうで、実際大変美しかったです。JR東日本長野支社では姨捨駅の写真コンテストを実施しているそうで、実は吉祥寺駅に掲出されていたそのポスターを見て姨捨駅を知り、この旅を決意したのです。(姨捨駅-Wikipediaへ)
この姨捨駅と隣の桑ノ原信号場、この先の信越本線二本木駅はスイッチバックという方式を採用しています。ここまで乗ってきた中央本線などにもかつては幾つかスイッチバックの駅がありましたが、車両性能の向上で、その殆どが廃止されています。(スイッチバック-Wikipediaへ)
 
 
 
長野駅改札前 
列車は長野駅に到着。改札口には長野冬季五輪を記念した大きなプレートがありました。駅からはバスで長野総合車両センターへ向かいます。途中、バスの車窓から善光寺が見えたときは全身がゾクッとしました。今回は時間の都合上行けませんでしたが、是非また日を改めて行こうと思います。
 
 
 
 
 
住宅街の中にある車両センター
 
最寄の停留所を降りると、いきなり敷地内に廃車となった201系電車の留置されているのが見えました。長らく廃車された車両の解体は大宮工場で行っていましたが、現在はここ、長野総合車両センターで行っています。今回は地元中央快速線201系電車を中心に、京浜東北線209系電車等の廃車車両とその解体作業を一度見ておこう思いやってきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
重機のあるところが解体場
白い115系とEF62
201系と209系 
車番をメモできたものは後日ネットで調べた結果ですが、この日あった車両は、
  • EF62-3ともう1両
  • 115系小山Y427編成
  • 209系1編成と先頭車1両
  • 201系T2編成とH16編成東京寄り7両(E233系登場前の番号)
  • 201系青67編成
でした。ちなみにT2(改番後はT102)編成は、1月7日に乗車していた編成(今年に入ってから乗った201系は編成を確認していました)だったのですが、まさか約2週間後、この長野の地で会うことになるとは…。201系が一番よく見えたのですが、車両によっては方向幕と窓硝子が外され、ジャンパ線も切断されていました。また、115系は1両が白く塗られていました。塗装試験でしょうか。どれもなかなかシュールな光景でした。
 
肝心の解体作業ですが、丁度昼休みだったのか作業を生で見ることはできませんでした。実際ネットで調べると、それはファンにとってかなり残酷なものだそうです。しかし廃車になった車両達を見ていると、今までにない気持ちがこみ上げてくるのが分かりました。これまでは、「何で廃車になっちゃうんだよ!!」とか、そういう単純な気持ちしかなかったのですが、それが、「今まで毎日ご苦労様でした。本当にありがとう。」という気持ちに変わったのです。中には、「何故たかが電車に感情輸入しているのか」と、僕を変人と思う方もおられるかと思います。ですが鉄道ファンとかそういう枠を越えた感情が確かに僕の中にあったと思います。ですから今回の長野訪問は僕にとって大変有意義だったと思います。時間の都合で見学は30分程度で切り上げ。本郷駅から長野電鉄に乗って長野駅へ戻りました。
今回、バスでの行き方や撮影ポイントなど車両センターの諸々のことは、事前に「まつ氏http://mt2133.blog41.fc2.com/」から教えてもらっていました。お陰でスムーズにことが進みました。この場を借りてお礼申し上げます。
 
本郷駅にて 
駅までは徒歩20分程度だろうと踏んで車両センターを予定通り出発したのですが、予定の電車に間にあわなそうになってきました。ここで乗り遅れると、その後の予定が全て崩れるので、ダッシュしたら何とか丁度間に合いました。
 
長野電鉄は複線区間や地下区間を有し、自動券売機も導入しており、分類としては「地方の中小私鉄」といったところでしょうが、なかなか近代的です。最近は小田急電鉄10000系ロマンスカーを使用した特急「ゆけむり」号を長野-湯田中間に運行していることでも有名です。今回長野駅でロマンスカーを見れましたが、乗り換え時間の都合上(標準9分のところを7分で乗り換えなければならなかった)、撮れなかったのが残念です。
僕が乗った車両は元東急8500系。よく見ると車内にローレル賞のエンブレムがありました。東急も譲渡車両を選ぶときに粋なことをしますね。乗っていると、しょっちゅう携帯電話の着信音がなるので、マナーが悪いなと思っていたら、車内の自動放送のチャイムでした。(笑)公立の小学生がたくさん乗っていましたが、長野では電車通学の小学生も少なくないのでしょうか。  
 
 
お手洗の案内 地鶏めし弁当 再び長野駅に戻った後は、信越本線で直江津へ。空腹になってきたところで松本駅で買った駅弁で昼食です。冷たくなっていましたが、なかなか美味しかったです。
 
右の写真は車内にあったトイレの位置を示すステッカーですが、各車両の下に「Mc/M’/Tc」と書いてあるのが見えるでしょうか。それぞれ「動力付先頭車/動力車/動力なし先頭車」を意味するのですが、トイレの案内には、あまり必要ないように思えます。
 
その後不覚にも寝てしまいました。丁度直江津に到着寸前に目が覚めたのでよかったのですが、もし起きなかったら、2分しか乗り継ぎ時間のなかった"ほくほく線"に乗り損ねるところでした。  
 
 
北越急行ほくほく線は、国鉄時代の北越線計画に端を発します。直江津から越後湯沢に至る「北越南線」と、犀潟(さいがた)から十日町を通って六日町に至る「北越北線」の2ルートが策定され、激しい誘致合戦があったそうですが、最終的には北越北線に決定しました。ほくほく線という名称は、この北越北線から取ったものです。その後国鉄の経営難などにより工事は一時凍結されますが、地元自治体と民間企業の合同出資による第3セクター方式の会社「北越急行」が設立され引継ぎ、工事は再開されます。
途中から、越後湯沢で上越新幹線と連絡する形で北陸地方と首都圏を結ぶバイパス路線としての役目が盛り込まれました。そのため計画中の頃の地図を見ると線路は山を縫う形でくねくねとしていますが、開通後の地図では高速運転を実現するために真っ直ぐになり、山地はひたすらトンネルで克服しています。このような紆余曲折を経て1996年に開通したのです。
開通前の地図開通後の地図
現在でもほくほく線は北陸地方と首都圏を結ぶ重要な路線となっており、上越新幹線と連絡して越後湯沢からほくほく線を通り、金沢方面を結ぶ、特急「はくたか」号が運行されています。また、はくたかは、ほくほく線内で在来線最速の160㎞/hの運転が実施されています。中央快速線(東京-高尾間)の最高速度が95㎞/hであるのと比べると、はくたかがいかに高速であるかが判りますね。これによって首都圏と北陸地方とのアクセスは大幅に改善されたのです。
犀潟-くびき間の車窓から 
はくたかで時速160㎞も体験したかったのですが、今回は「普通列車の旅」であることと、出費削減ということで普通列車で越後湯沢を目指します。直江津は日本海に面していますが、防風林らしきものが見えるだけで、「生まれてはじめての日本海」はお預けでした。信越本線と別れを告げ、ほくほく線は内陸に入っていきます。犀潟-くびき間は一面の田園地帯を真っ直ぐと進んで行きますが、丁度太陽も傾きつつある時間帯で大変美しい光景でした。
HK100形(越後湯沢駅にて) 
普通列車もはくたかの運行に支障をきたさないよう、かなりの高性能設計になっていて早かったです。くびき以降の大半はトンネルであまり風景は期待できませんが、トンネル内でも運転席うしろの幕は下ろさずに運転してくれるので、前を見る分にはなかなか良かったです。普通列車の中にはトンネル内で車内に夜空を上映する、プラネタリウムチックな「ゆめぞら号」という車両が何両かあるそうですが、今回は乗れませんでした。
 
 
 
 
 
 
北越急行のステッカー国鉄115系(新潟)のステッカー
普通列車の車内にあった非常用ドアコックの案内ステッカーです。国鉄車両にあるものと比べるとスタイルは同じなのですが、文章のレイアウトが微妙に違います。ちなみにこの車両は新潟トランシス(旧新潟鐵工所)で製作されたものでした。
また、途中列車の交換で長時間の停車中にトイレの場所を尋ねてきた乗客には、運転士のかたが駅のトイレまで案内してくれるなど大変親切でした。ほくほく線の普通列車にはトイレがありません。十日町付近からは高校生が多数乗車してきました。大概東京の高校生は革靴ですが、こちらでは雪対策もあってブーツを履いている人が多く、この方が楽でいいなと思いました。
越後湯沢駅のごみ箱 越後湯沢駅西口
 
越後湯沢では次の列車までの乗り継ぎ時間が1時間ほどありましたので、温泉街を散策し、土産と夕食の弁当を購入しました。湯沢高原は僕がよくスキーに訪れる場所です。
 
在来線ホームで次の列車を待っているときに黒いごみ箱を見つけました。首都圏では恐らくテロ対策の一環でしょう、透明で中が見えるのものに替わりました。が、ここではまだ昔の黒いごみ箱が現存していました。このごみ箱は、他に篠ノ井駅などでも見られました。  
 
 
 
優先席115系新潟色
 
ここから上越線の普通列車に乗ります。こちらの115系も優先席付近のつり革が、E233系に見られるような二等辺三角形状の物に交換されていて驚きました。
 
途中の清水トンネル付近は急勾配を克服するためにループ構造となっています。湯檜曽駅手前ではそれがよく見えるポイントも存在しており、以前ここを通った時にはそれが確認できましたが、今回は暗くてよく分かりませんでした。
  
 
 
115系湘南色(写真は高崎駅に停車中の信越線)
 
水上駅で高崎行に乗り換えました。今までと同じ115系でしたが、ボックスシートがヘッドレスト付で快適でした。新前橋駅でついに半ドア扱いがなくなりました。
高崎問屋町の発車メロディーは、オカリナ奏者宗次郎氏の曲です。かつては首都圏(特に中央・総武線各駅停車)でも使用されていましたが、著作権料が生じることから、順次他の曲に置き換えられました。現在はここでしか聴くことができません。2種類の内、上りホームで使用されている『雲を友として』を聴くことができました。  
 
 
 
八高線キハ100系ほくほく弁当外装ほくほく弁当中身 
高崎から八高線に乗り換えました。丁度部活帰りの高校生とぶつかり、びっくりするほど混雑していましたが、群馬藤岡を過ぎる頃にはその賑わいもなくなり、普段のローカル性が戻ってきました。そして越後湯沢で買ったほくほく弁当をたべました。ほくほく弁当とほくほく線との因果関係は不明です。明覚駅のログハウス風駅舎は必見です。
八高線は高麗川で運転系統がにぶんされているため乗り換えます。確か時刻表によると、丁度反対側に中央線からの直通電車があるはずです…ありました!!…しかもそれは201系ではありませんか!!いやぁ大変貴重なものを見せてもらいました。ところで、八高線と川越線の川越以西は半ドア扱いです。元山手線の205系に乗りましたが、空気式で半ドアって珍しいですよね?
 
201系H3(元H12)編成
ちょっと予定を変更し、最後の中央線直通の青梅線で戻ることにしたので拝島で下車しました。すると五日市線ホームに、さっき高麗川に行った201系の残りの武蔵五日市行がまだ停車していたのです!! 先程は車内の中だったので撮れなかったのですが、今度はバッチリ、滅多に見れない中間先頭車の前面を撮れました。H3編成です。
 
カナリアイエローの痕跡
拝島駅で青梅に向かう201系青編成と遭遇ました。青梅・五日市線はまだ201系が多数健在です。それらは元々中央・総武線各駅停車で活躍していたものでした。そのため妻面部分を見ると僅かに黄色い塗装を確認することができます。しばらくすると中央線用E233系がやってきて、無事帰還できました。1日で500㎞以上旅したことになります。天候にも恵まれ、全てが予定通りに行き、なかなか良い旅となりました。
 
しかしその後、就寝前から胸焼けがし、就寝後嘔吐感で目覚め、何年振りか嘔吐してしまいました。そしてそれまでの弁当が全て出てきました。(涙)食中毒か乗り物酔いか(僕は今まで一度も乗り物酔いはしたことがありません)色々考えましたが、翌日病院へ行ったところ「ノロウィルス」とのこと。その後4日間の予定をキャンセルせざるを得なくなりました。皆さんも手洗い・うがい、ちゃんとしましょうね。最後にこの記事のタイトルは、駅に貼ってある関口知宏氏出演のポスターのタイトルから取らせていただきました。
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